万次郎が遺した最大のレガシーの一つが、子孫たちへ受け継がれた「実学への情熱」と「国際的視座」です。その象徴となったのが、長男の中浜東一郎(ひがしいちろう)でした。
明治維新後、東一郎は東京大学医学部を卒業し、医師としての道を歩み始めます。彼は単なる臨床医にとどまらず、福島県立医学校長や衛生試験所技師などを歴任し、近代日本の公衆衛生や法医学の基盤構築に心血を注ぎました。高木兼寛らと共に東京慈恵会医科大学の前身である有志共立東京病院の設立に深く関わり、慈恵医大の礎を築いた医学界の重鎮としてその名を歴史に刻んでいます。
東一郎自身が遺した日記や手記には、父・万次郎から学んだ合理主義と、人の命を平等に尊ぶ精神が医師としての信念の源泉になった旨が記されています。中浜家は東一郎を起点として、以下のように日本の医学・学術・外交を支える傑出した人材を次々と世に送り出しました。
- 中浜松三(東一郎の長男):東京帝国大学法科を卒業後、外交官として活躍。ジュネーブの国際連盟事務局に勤務し、父や祖父譲りの語学力と交渉力で国際社会と対峙した。
- 中浜慶三郎(東一郎の三男):海軍軍医少将を務め、戦前日本の医療・軍陣医学の発展を現場から支え続けた。
- 中浜西七郎(万次郎の次男):建築技術者として工部大学校で学び、近代日本の都市計画やインフラ整備に貢献。
一過性の名声に甘んじることなく、世代を超えて国家の近代化に資する専門職を輩出した点において、中浜家の家系図は日本の近代化史そのものを凝縮したような風格を放っています。