本作を深く味わう上で避けて通れないのが、サブタイトルにも冠された「イデア」と「メタファー」の意味、そして日本画家・雨田具彦が遺した絵画の謎です。
プラトン哲学において「イデア」とは、現実世界の背後にある永遠不滅の本質や観念を指します。作中に出現する騎士団長は自らを「イデアである」と明言し、特定の善悪を持たず、主人公の脳内にあるイメージを借りて顕現したと語ります。一方の「メタファー(暗喩)」は、そのイデアが現実の行動や関係性に転換される過程で生じる力動です。「私」が暗闇の地下牢のような迷宮を通り抜ける行為は、まさに精神の死と再生を表現するメタファーそのものでした。
この哲学的概念と密接に結びついているのが、雨田具彦の青年期の体験です。具彦は1930年代後半のオーストリア・ウィーンに留学中、ナチスによるオーストリア併合(アンシュルス)の激動に巻き込まれ、現地の反ナチス地下組織の暗殺未遂事件に関与して恋人を失ったとされています。さらに同時期、彼の弟は徴兵されて中国大陸へ送られ、1937年の南京入城戦に関わった末に精神を病み、復員後に自ら命を絶ちました。
具彦は戦後、西洋画を完全に捨て去り、伝統的な日本画の世界に沈潜しました。しかし、彼が密かに描き、屋根裏に封印していた『騎士団長殺し』こそは、彼自身が生涯抱え続けた「歴史的トラウマ」の告発でした。飛鳥時代の貴族たちの流血戦という仮面を被せることでしか、凄惨な暴力の記憶をカンバスに定着させることができなかったのです。
「私」が騎士団長の胸にナイフを突き立てる行為は、具彦が背負い続けた血塗られた歴史の呪縛を解き放ち、無意識の奥底に澱のように沈殿していた「未消化の暴力」を供養する儀式であったと考察できます。