Q1:大津事件の後、津田三蔵はどこでどのように亡くなったのですか?
A1:判決確定後、津田は北海道の釧路集治監(現在の釧路刑務所の前身)へ移送されました。しかし、収監から間もない1891年9月29日、急性肺炎を発症して獄死しました。享年37。短期間での急死だったため「毒殺説」が流布しましたが、現存する公式の行旅死亡人記録や公文書により病死であることが実証されています。
Q2:なぜ明治政府はそこまでして津田三蔵を死刑にしたかったのですか?
A2:当時、世界最強クラスの軍事力を誇っていたロシア帝国が、皇太子襲撃を口実に日本へ武力侵略や多額の賠償金請求を仕掛けてくることを極度に恐れたためです。犯人を極刑に処すことで「国家として最大限の処罰を行った」という誠意を示し、ロシアの軍事介入を未然に防ぎたいという政治的焦燥感が背景にありました。
Q3:児島惟謙が守った「司法の独立」は、なぜ教科書で高く評価されているのですか?
A3:政府(行政権)が自らの都合や対外的な都合に合わせて法律を曲げようとした際、裁判所(司法権)が毅然と独立を守り、法律通りの判決を下した憲政史上初の事例だからです。この判決によって欧米列強は「日本は外圧に屈せず法律を遵守する近代文明国である」と認め、その後の不平等条約改正(領事裁判権の撤廃など)を前進させる極めて重要な契機となりました。