八坂の塔の起源は、平安遷都よりもはるか昔の飛鳥時代にさかのぼります。寺伝や歴史書『扶桑略記』の記述によると、崇峻天皇2年(589年)、聖徳太子が夢の中で如意輪観音からのお告げを受け、仏法興隆を祈願して五重塔を建立したのが法観寺の始まりとされています。
当時、この地域一帯は渡来系豪族である八坂氏が本拠地としていた地であり、朝鮮半島から伝来した高度な建築技術を取り入れて巨大な伽藍が築かれました。平安遷都以前の京都盆地に存在した最古級の寺院の一つであり、八坂神社の前身とされる祇園感神院とともに東山一帯の信仰の中核を担っていました。
しかし、その長い歴史は度重なる戦乱と大火の連続でした。治承・寿永の乱(源平合戦)に伴う焼失をはじめ、鎌倉時代の正嘉年間にも類焼。その都度、源頼朝などの支援によって再建されてきましたが、最大の試練となったのが室町時代の永享の大火です。
永享8年(1436年)、近隣の火災に巻き込まれて塔は再び灰燼に帰しました。この危機に際し、再建に尽力したのが室町幕府第8代将軍・足利義政や管領・細川持之ら幕府の中枢です。義政らの強力な財政的・政治的後援を受け、永享12年(1440年)に現在の五重塔が再建されました。現在私たちが目にしている重厚な瓦屋根と力強い木組みは、銀閣寺(東山文化)を開いた足利義政の時代の美意識と建築技術をそのまま現代に伝えています。
その後、戦国時代の動乱によって多くの堂宇が失われ、境内は縮小を余儀なくされましたが、五重塔だけは奇跡的に幾多の兵火を免れ、昭和、平成、そして令和の今日まで京都の街を見守り続けています。