教科書に掲載される主要場面を、4つの展開に分けて原文と現代語訳で対比します。
【第1場:巴御前との別れ】
(原文)木曽殿、ただ一騎になつて落ち延び給へ。巴は女なれば、いづちへも行け。我は討死をせんと思ふなり。もし人手にかからば、自害をせんずれば、「木曽殿の最後の軍に、女を具せられたりけり」とて、鳴呼の人の口に掛からん事、恥がましければなり。
(現代語訳)木曽殿は、「お前だけでも落ち延びよ。巴は女なのだから、どこへでも行け。自分は討死をしようと思う。もし敵の手にかかりそうになれば自害するつもりだが、『木曽殿は最後の合戦に女を連れていた』などと世間の人々の噂に上ることは、末代までの恥だからだ」とおっしゃった。
【第2場:義仲と兼平の最後の対面】
(原文)今井四郎、木曽殿に申しけるは、「日頃は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うならせ給ひて候ふぞや」と聞こえければ、木曽殿、「御身もさらば覚えつらん。我もさこそ覚ゆれ」とのたまひけり。
(現代語訳)今井兼平が木曽殿に申し上げたことには、「普段は何とも思われない鎧が、今日は重くお感じになっていらっしゃるのではありませんか」と申し上げると、木曽殿は「そなたもそう感じていたのか。私もまさにそのように思っていたのだ」とお答えになった。
兼平は続けて「主君のお疲れゆえです。味方の勢力も尽きました。この兼平が敵を食い止めますので、殿はあの粟津の松原へお入りになり、静かにご自害なされませ」と勧め、義仲を逃がします。
【第3場:義仲の討死(深田での悲劇)】
(原文)木曽殿、ただ一騎、粟津の松原へ駆け入り給ふが、正月二十一日、黄昏の事なるに、薄氷の張つたる深田ありけるを、心得ずして馬を打ち入れ給ひければ、馬の頭も見えざる程に入りぬ。
(現代語訳)木曽殿はただ一騎で粟津の松原へ駆け込まれたが、正月二十一日の夕暮れのことで、薄氷の張った泥深い田があるのを気づかずに馬を駆け入れられたところ、馬の頭も見えないほど深く埋まってしまった。
(原文)兼平が如何になりぬらんと思し召して、後ろを振り仰ぎ給ふ処に、三浦の石田次郎為久、追ッ懸け来たりて、よッ引いてひやうと放つ。矢は木曽殿の内甲に、面を射抜いて、痛手を負はせ奉る。木曽殿、馬の首にうつ伏し給へるを、石田が郎等二人落ち重なつて、遂に木曽殿の首を取りつ。
(現代語訳)義仲は「兼平はどうなっただろうか」と心配して後ろを振り返られたその瞬間、敵将・石田為久が追いすがり、弓を引き絞ってヒョウと放った。矢は義仲の兜の内側、額の真ん中を深く射抜き、致命傷を負わせた。義仲が馬の首にうつ伏しになられたところへ、石田の家来二人が飛びかかって重なり、ついに義仲の首を取ってしまった。
【第4場:今井兼平の壮絶な自害】
(原文)兼平、これを見て、「今は誰を庇はんとしてか、軍をすべき。東国の殿原、これを見給へ。日本一の剛の者の自害する手本ぞ」とて、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ちて、貫かれて失せにけり。
(現代語訳)兼平はこれを見て、「もはや誰をかばうために戦う必要があろうか。東国の武士たちよ、これを見よ! 日本一の勇士が自害する手本であるぞ!」と叫び、太刀の切っ先を口にくわえ、馬から逆さまに飛び落ちて、身体を貫かれて命を絶ったのだった。