穴守稲荷駅が今選ばれる理由と歴史の真相|治安・家賃から鳥居伝説まで

穴守稲荷駅が今選ばれる理由と歴史の真相|治安・家賃から鳥居伝説まで

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穴守稲荷を語る上で避けて通れないのが、羽田空港の敷地にまつわる「赤い鳥居の伝説」と神社の歴史です。ネット上やオカルトメディアでは長年「撤去しようとすると関係者が怪我をする、祟りがある鳥居」といった扇情的な噂が語り継がれてきました。しかし、現地取材と歴史的公文書が示す事実は、そうした安易な怪談話とは一線を画す、地域の人々の深い情愛と苦難の歴史です。

もともと穴守稲荷神社は、現在の羽田空港の滑走路付近(旧羽田穴守町)に広大な敷地を構え、鉱泉が湧く一大観光地・門前町として栄えていました。しかし1945(昭和20)年9月21日、終戦直後の米軍GHQにより突如「48時間以内の強制立ち退き命令」が下されます。住民約3,000人とともに神社は住み慣れた土地を追われ、現在の地へと遷座を余儀なくされました。

その際、空港敷地内に残された大きな赤鳥居だけが、米軍の工事でもなぜか解体されず、長年空港の駐車場の一角に残され続けました。これがいわゆる「撤去できない祟りの鳥居」という都市伝説の発端です。しかし実際のところは、土地を奪われた旧住民たちの「神社の記憶を残してほしい」という強い願いと、工事関係者たちの敬意と配慮が重なり、長年大切に保存されていたというのが真相です。

その後、羽田空港の沖合展開事業に伴い、1999(平成11)年に鳥居は天空橋駅近くの多摩川沿い(弁天橋のたもと)へ無事移設され、現在も「平和の鳥居」として人々の航行安全を見守っています。オカルトではなく、激動の昭和史を生き抜いた地元民の誇りと祈りの象徴なのです。

現在の穴守稲荷神社では、社殿の奥にある「奥之宮 狐塚の御神穴」からいただく御神砂(おすな)を持ち帰り、敷地や玄関に撒くことで商売繁盛や招福、家内安全のご利益があるとされています。また、四季折々の美しい意匠を凝らした御朱印や、航空会社とコラボレーションした限定の御朱印帳などは、航空ファンや参拝者の間で絶大な人気を博しています。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

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