名曲ミスター・ブルー・スカイの真実|映画起用と歌詞に迫る徹底解剖

名曲ミスター・ブルー・スカイの真実|映画起用と歌詞に迫る徹底解剖

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『ミスター・ブルー・スカイ』が誕生した舞台は、イギリスの曇り空の下ではなく、1977年のスイス・アルプス山脈の麓に位置する小さな山荘でした。当時、ELOの首領であるジェフ・リン(Jeff Lynne)は、レコード会社から次作アルバムの楽曲制作という巨大な重圧を課されていました。制作のために借り切った別荘でピアノに向かい続けたものの、現地は2週間連続で分厚い雨雲と深い霧に閉ざされ、アイディアは完全に枯渇。リン自身が後の特番インタビューや回想録で「完全にスランプに陥り、頭の中は真っ白で、一文字の歌詞も一小節のコードも思い浮かばなかった」と告白しています。

奇跡が起きたのは、滞在から14日目の早朝でした。重いカーテンを開けると、それまでの陰鬱な悪天候が嘘のように吹き飛び、澄み渡る濃紺の空と、太陽の光を浴びて白銀に輝くアルプスの山並みが眼前に広がっていたのです。その圧倒的な情景を目にした瞬間、リンの脳内で旋律が一気にスパークしました。彼はピアノへ駆け寄り、わずか数時間のうちに『ミスター・ブルー・スカイ』の骨格を書き上げました。勢いはそれにとどまらず、続く数日間で名盤『アウト・オブ・ザ・ブルー(Out of the Blue)』に収録される楽曲の大半を完成させたのです。

この楽曲は、同アルバムのレコード3面を丸ごと使った一大組曲「雨の日の協奏曲(Concerto for a Rainy Day)」の最終楽章(第4曲)として配置されました。悪天候による停滞と絶望を描いた前3曲の雨音がフェードアウトした直後、まるで世界が一気に色彩を取り戻すかのように鳴り響くアップテンポのストローク。名曲誕生の経緯を知ることで、冒頭の突き抜けるような高揚感が、作り手自身の魂の解放そのものであったことが浮き彫りになります。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。