非公開とされていた本名が全国的な公知の事実となった最大の契機は、ネット上に流出した「綾瀬はるか卒アル写真」でした。中学・高校時代のアルバム写真には、まぎれもなく「蓼丸綾」という氏名が印刷されていたのです。
写真に映る彼女は、一切の化粧をしていない完全なすっぴん姿。整った目鼻立ちと透明感あふれる肌質、そして愛らしい微笑みは、当時から完成された美貌を持っていたことを残酷なまでに証明していました。ネット掲示板やSNSでは「卒アル流出でこれほど好感度が上がった芸能人はいない」と絶賛され、整形疑惑などを完全に粉砕する決定打となりました。
地元・広島での足跡をたどると、彼女は進学校としても知られる広島県立祇園北高校に入学。運動神経抜群だった彼女はバスケットボール部に所属し、ハードな練習に汗を流していました。当時の同級生や地元住民の証言によると、「スタイル抜群で目立つ存在だったが、気取ったところが一切なく、周囲を和ませる天然の明るさを持っていた」と振り返られています。
転機が訪れたのは高校1年生の夏。友達に誘われて記念受験した第25回ホリプロタレントスカウトキャラバン(2000年)でした。特技審査で「ウサギのモノマネ」を披露して会場を爆笑と困惑に包み込みながらも、圧倒的な素材の良さを見抜いた審査員によって審査員特別賞を受賞。芸能界への本格進出に伴い、彼女は祇園北高校から芸能人の受け入れ態勢が整っている東京の堀越高校(トレイトコース)へと転校を決断しました。