視聴者の間で長年話題となってきたのが、「なぜ石川さゆりは毎年のように『天城越え』と『津軽海峡・冬景色』を交互に歌うのか」という疑問です。この問いに対し、制作サイドの事情と表現者本人のプロフェッショナリズムという2つの側面から理由を読み解くことができます。
第一の理由は、NHK制作統括陣と視聴者ニーズの一致です。紅白歌合戦という国民的番組において、幅広い世代が共有できる「共通言語」としての楽曲は年々減少しています。その中で、イントロが流れた瞬間に全国のお茶の間が引き込まれる絶対的なキラーチューンとして、この2曲は他の追随を許さない認知度と求心力を持っています。番組側からの熱狂的なリクエストが背景にあることは公然の事実です。
第二の理由は、石川さゆり本人が掲げる「古典芸能としてのアップデート精神」です。過去のインタビューや手記において、彼女は「歌は生き物であり、同じ曲であっても時代や年齢、世相によって表現が変わる」という趣旨の発言を度々残しています。歌舞伎の名作が何百年も同じ演目を演じ継ぎながら、演者によって異なる命を吹き込まれるように、彼女にとって2曲の交互歌唱は「定型の中でいかに新しさを提示できるか」という高度な表現の実験場なのです。
単なる現状維持ではなく、「今年の日本にどう届けるか」というテーマのもと、テンポ、ブレス、視線の配り方、そして後述する大胆な編曲に至るまで、毎年緻密な再構築が行われています。