原爆の子の像と佐々木禎子の真実|千羽鶴が語る平和への祈りと建立の軌跡

原爆の子の像と佐々木禎子の真実|千羽鶴が語る平和への祈りと建立の軌跡

原爆の子の像と佐々木禎子の真実|千羽鶴が語る平和への祈りと建立の軌跡の注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。

原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんは、1943年生まれ。わずか2歳の時、爆心地から約1.7km離れた楠木町の自宅で被爆しました。当時は目立った外傷もなく、健康で運動神経抜群な少女として成長し、小学校6年生の秋にはリレーの選手として活躍していました。

しかし、1954年末頃から首周りにしこりができ始め、翌1955年2月に「急性白血病」と診断され、広島赤十字病院に入院を余儀なくされます。「原爆に遭ってから10年経って発症する」という現実は、当時の医療関係者や被爆者家族に大きな衝撃を与えました。

入院中の1955年8月、名古屋の高校生からお見舞いとして届いた千羽鶴をきっかけに、禎子さんは「鶴を千羽折れば病気が治る」という言い伝えを信じ、自ら鶴を折り始めます。これが、世界中で知られる折り鶴の少女の物語の始まりです。当時の病室には専用の折り紙などほとんどなく、彼女は薬の包み紙、セロハン、お見舞いの包装紙などを針を使って小さく正方形に切り、一心不乱に折り続けました。

今日、日本のみならず世界中で「平和の象徴」として定着している千羽鶴の由来は、古くからの快復祈願の風習が、禎子さんの壮絶な闘病と純粋な祈りを通じて「核兵器のない世界と平和へのシンボル」へと昇華された点にあります。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。