本作のクライマックスは、相談者の独白が終わった後に訪れる厳粛な判定の瞬間です。3人の委員が手元にある「やれた」「やれたとは言えない」の札を掲げる判定理由は、単なるシチュエーションの成否分析にとどまりません。
象徴的なのは、月綾子(白石麻衣)が放つ厳しい現実の指摘です。男性側が「彼女は自分に気があるから部屋に来たのだ」と解釈していた場面に対し、月綾子は冷然とこう言い放ちます。
「女性が部屋に来たからといって、身体を許すサインだと思わないでください。それは、あなたを危険な男ではないと信用した結果にすぎません」
この一言は、多くの男性読者が無意識に抱く「都合の良い勘違い」を粉々に打ち砕きました。一方で、能島譲(佐藤二朗)の下す判定は、常にロマンチシズムの救済に向けられています。客観的に見ればどう転んでも無理筋な告白であっても、能島は時に「やれた」の札を挙げ、こう語りかけます。
「あの夜、君が踏み出さなかった一歩こそが、彼女を守り、君の人生において美しい思い出として残った。やれたとは言えんが、男として最高だ」
この二律背反する視点こそが、作品の神髄です。「やれたかも」という思いを抱くこと自体が罪なのではなく、その未練を抱えながら今日まで生きてきた相談者の人生そのものを、委員会は全肯定も全否定もせず、ただ静かに抱きしめるのです。