米国スポーツ医学の権威フランク・ジョーブ博士の手術を受けた後、吉村氏を待っていたのは「地獄」と形容される過酷なリハビリでした。曲がらなくなった膝を力づくで曲げる激痛の訓練、切断寸前まで衰弱した筋力を取り戻す気の遠くなるようなトレーニングを耐え抜き、1989年秋にファームで実戦復帰。そして1990年、背番号7を身にまとって一軍の舞台へ帰還を果たします。
そのハイライトとなったのが、1990年9月8日、東京ドームで行われたヤクルトスワローズ戦です。勝てば巨人のリーグ優勝が決まる天王山。同点で迎えた延長8回裏、一死走者無しの場面で藤田元司監督は代打に吉村氏を指名しました。
相手マウンドにはヤクルトの剛腕・川崎憲次郎投手。カウント2-2からの内角ストレートを完璧に捉えた吉村氏の打球は、美しい弧を描いてライトスタンドへと飛び込む劇的なサヨナラ本塁打となりました。ベースを一周しながら右手で歓喜のガッツポーズを突き上げる吉村氏と、ベンチから飛び出して涙を流しながら抱き合うチームメイトの姿は、日本プロ野球史に刻まれる名場面として今なお語り継がれています。
歩行すら危ぶまれた男が、グラウンドでチームを優勝へと導く一発を放つ。その背景には、単なる根性論ではなく、自己の身体変化を受け入れ、フォームを根本から再構築した冷徹な自己変革がありました。