松任谷由実が作詞・作曲を手掛け、夫である松任谷正隆が編曲を施した『春よ、来い』。歌ネットなどの公式登録データを確認すると、原曲の調性は変ホ短調(E♭ minor)および変ト長調(G♭ major)という、フラットが6つも並ぶ極めて黒鍵比率の高いキーで構築されています。冒頭の象徴的なコード進行は「G♭6 → A♭ → B♭m」。この進行が放つ、春の気配を待ちわびるような独特の浮遊感こそが、楽曲全体のアイデンティティを決定づけています。
音楽理論の観点から『春よ、来い』のコード進行を分析すると、最大の秘密は「日本人の情動に深く刻まれた五音音階(ヨナ抜き短音階的アプローチ)」と「現代ポップスの王道和声」の高度なハイブリッドにあります。メロディライン自体は、童話や唱歌を想起させるどこか懐かしい民謡的な輪郭を持ちながら、背景で鳴る和音は「IVmaj7 → V7 → VIm7」という、切なさを最大化するカデンツが採用されています。
特にリスナーの涙腺を刺激する『春よ、来い』のサビのコード進行(原曲キーではG♭ → A♭ → B♭m、移調したイ短調ではF → G → Am)は、J-POPにおいて「哀愁の王道進行」と呼ばれる型です。主和音へストレートに着地せず、手前のサブドミナントからトニックの平行短調へと滑り込むことで、冬の凍てつく寒さから微かな光が差し込むようなドラマチックな情景描写を、音そのものによって成立させているのです。