当時、連日テレビのワイドショーを占拠したのは、過剰なまでに感情を煽るスポーツ報道の姿だった。視聴率を稼ぐために個人の人格否定にまで踏み込んだ過熱バッシングは、現代のSNS炎上社会の先駆けとも言える構造を持っていた。メディアは彼の圧倒的な実力や滑りの美しさではなく、ただ一点の失言と服装のみを過激に攻撃し続けたのである。
この過激なメディア狂騒曲は、日本のスポーツメディア産業が抱える構造的な欠陥を浮き彫りにした。アスリートを「国民の好感度商品」として都合よく消費し、決められたフレームからはみ出た者を容赦なく叩く体制。その過酷な犠牲となった國母の姿は、後の世代のアスリートたちが自らの表現とどう向き合うべきかという重い課題を突きつけた。