日光東照宮の三猿を巡っては、数々の都市伝説や歴史的な誤解が存在します。現地調査と歴史文献をもとに、代表的な2つの噂を検証します。
検証1:三猿の彫刻は本当に「左甚五郎」の単独作品なのか?
日光東照宮の「眠り猫」とともに、三猿の作者として語られるのが伝説の大工・彫刻職人である左甚五郎(ひだりじんごろう)です。しかし、近年の建築史・美術史研究における公文書調査では、左甚五郎の実在性自体に諸説があり、実質的には幕府作事方(さくじがた)に属する彫物大工集団が分担して制作したことが判明しています。
甚五郎の名は、卓越した技術を持つ職人たちの象徴的なブランドネームとして後世に講談や落語で広まったというのが学術的な共通見解です。
検証2:道教・庚申信仰と三猿の決定的な結びつき
三猿の教えが日本全国の庚申塔(こうしんとう)に広く刻まれている背景には、平安時代から江戸時代にかけて庶民の間に浸透した庚申信仰(こうしんしんこう)があります。
庚申信仰では、人の体内に棲む「三尸の虫(さんしのむし)」が、60日に一度めぐる庚申の日の夜、人が眠っている間に体内を抜け出して天帝(閻魔大王や神仏)のもとへ昇り、その人の悪事を密告すると信じられていました。密告された罪の数に応じて寿命が削られるため、人々は庚申の夜に一堂に会して徹夜をする「庚申待(こうしんまち)」を行いました。
この際、本尊である青面金剛(しょうめんこんごう)の使いが猿(申)であったこと、そして「三尸の虫に悪事を見せない・言わせない・聞かせない」という防衛の願いが合致したことで、三猿のモチーフが全国へ爆発的に普及したのです。