1972年の本土復帰は、沖縄の裏社会に未曾有の激震をもたらした。本土の巨大組織がこの広大な未開拓マーケットを狙い、虎視眈々と触手を伸ばしてきたからである。これに対抗すべく結成されたのが、島内組織を大同団結させた旭琉会だった。
しかし、結束は長く続かなかった。内部対立から凄惨な第4次抗争が勃発。一般市民や高校生、さらには警戒中の警察官までもが凶弾に倒れるという最悪の事態を招き、世論の怒りは頂点に達した。その後、組織は旭琉会と沖縄旭琉会に分裂し、本土勢力との距離感を巡って激しい神経戦が繰り広げられる。
日本最大の広域組織である六代目山口組は、幾度となく沖縄進出を試みた。だが、富永清を中心とする首脳陣は、本土組織の軍門に下ることを断固拒否。血で血を洗う長期抗争の果て、2011年に両組織は奇跡的な一本化を果たし、新生「旭琉会」として一本独鈷の看板を守り抜いた。それは、他府県の暴力団が次々と大手広域組織の傘下に飲み込まれていく中で、極めて特異な歴史的防衛戦だった。