1614年〜1615年の「大坂の陣」において、真田幸村は全軍の武具を朱色で統一した「赤備え」を率い、大坂城の南西に出城「真田丸」を築いて徳川数十万の大軍を完膚なきまでに撃退しました。
武田信玄の家臣団から受け継いだ伝統の「赤備え」は、それ自体が「戦場における精鋭部隊」の証でした。朱塗りの甲冑は戦場で極めて目立つため、武勇に絶対の自信がなければ身につけることができません。そこに「死を前提とした六文銭の旗印」が加わることで、敵兵に対して凄まじい視覚的プレッシャーを与えたのです。
当時の一次史料や軍記物『大坂陣山口休庵咄』などによると、大坂夏の陣の天王寺口の戦いにおいて、幸村率いる真田隊が家康の本陣へ怒涛の3度におよぶ突撃を敢行した際、家康の馬印が倒れ、家康自身が切腹を覚悟するほど追いつめられたと記録されています。深紅の波の中に浮かび上がる六文銭の旗印は、徳川方の武将たちの脳裏に「不気味な死神の軍団」として強烈に焼き付けられました。