本作の制作過程そのものが、劇中の狂気と完全に地続きであったことは有名な事実です。フィリピンロケは当初予定の数か月を大幅に超過し、1976年から1979年に及ぶ計238日間の過酷な撮影となりました。
制作現場では、映画製作の常識を根底から覆すトラブルが相次ぎました。
- 巨大台風によるセット全壊:撮影初期に大型台風オルガが直撃し、数億円をかけて建設した巨大セットが壊滅。撮影は数か月にわたり中断を余儀なくされました。
- 主演マーティン・シーンの心臓発作:極度のプレッシャーと過酷な気候により、撮影終盤にシーンが心臓発作で倒れ、一時危篤状態に陥りました。代役や後ろ姿を使った撮影で時間を稼ぎ、奇跡的な復帰を果たしました。
- マーロン・ブランドの造反と脚本改テ:法外なギャラで招聘されたブランドは、原作『闇の奥』を読まず、大幅に体重を増やして現場に現れました。コッポラ監督は急遽演出を変更し、常に影や暗闇の中に身を隠す演出を採用することで、怪異なカリスマ性を逆手にとって表現しました。
- 本物の人骨使用騒動:リアリティを追求する小道具担当者が、墓荒らしの密売業者から調達した本物の人間の遺骨をセットに配置。警察の捜査が入る事態に発展しました。
コッポラ監督自身も自宅や私財を担保に入れて3000万ドル以上の負債リスクを背負い、精神的に追い詰められて自殺を口にするほどでした。カンヌ国際映画祭の記者会見で監督が放った「私の映画はベトナム戦争についての作品ではない。私の映画そのものがベトナム戦争だったのだ」という言葉は、この修羅場を物語る象徴的な証言です。