訃報が駆け巡った当時、臼井氏の代表作は月刊コミック誌『まんがタウン』の看板作品として連載中だった。休載することなく毎月原稿を届け続けていたプロフェッショナルの突然の不在。編集部はかつてない混乱と深い悲嘆に包まれた。
株式会社双葉社の編集フロアには、未掲載のストック原稿が数話分残されていた。その原稿の欄外には、次回以降のストーリー展開や新キャラクターのラフスケッチが几帳面な筆致で書き込まれていたという。自らの手で作品を終わらせる意志など微塵もなく、物語を先へと紡ぐ情熱がそこには満ちていた。
編集部と遺族は協議を重ね、氏が遺したネームやプロットを尊重しながら、アシスタント陣による制作集団「臼井儀人&UYスタジオ」を立ち上げる道を選んだ。作品の息の根を止めず、子どもたちに笑いを届け続けること。それこそが、生前の臼井氏の意志に応える唯一の選択肢だった。