浅井長政にまつわるエピソードの中でも、とりわけ衝撃的かつセンセーショナルに語られるのが「信長が長政の頭蓋骨を杯にして酒を飲んだ」という伝説です。この浅井長政の髑髏杯の真相について、一次史料である『信長公記』の記述を精査すると、後世の創作による歪曲が見えてきます。
天正2年(1574年)の正月、信長が岐阜城の宴席で長政・久政・朝倉義景の3人の首級を家臣に披露したのは事実です。しかし、そこには漆を塗り金箔を施す「薄濃(はくだみ)」という儀礼的加工が施されていました。これは死者を怨霊として恐れず、敵将の武勇を称え成仏を祈る当時の武家における厳粛な儀式であり、頭蓋骨に直に酒を注いで飲み干したという悪趣味な描写は、江戸期の軍記物『浅井三代記』などが脚色したフィクションです。
また、高野山持明院に伝わる浅井長政の肖像画がイケメン説として話題になる背景には、整った顔立ちと気品ある佇まいが描かれている点があります。この肖像画はお市や三姉妹が追善供養のために描かせたものとされ、身内の敬慕の念が強く反映されていると同時に、長政が武家社会において優れた品格を備えていたことを物語っています。