京都帝国大学(現・京都大学)の教授であった西田幾多郎が、毎日のようにこの小道を歩きながら思索を深めたことは広く知られている。彼の著書『善の研究』に代表される独創的な哲学体系は、このせせらぎの音とともに育まれたと言っても過言ではない。
道中には、西田が詠んだ「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾はゆくなり」という歌碑が今もひっそりと佇む。情報が過剰に行き交う現代において、ただ歩き、ただ考えるという行為の価値が再認識されている。スマートフォンの画面から目を離し、足元の砂利の感触や風の冷たさを肌で感じる。令和の時代を生きる人々がこの道を目指す理由は、単なる写真映えではなく、自己との対話の時間を求めているからにほかならない。