GHQ本部となった第一生命館の内部では、日本の戦後体制を決定づける数々の重要政策が矢継ぎ早に打ち出されました。その象徴たる出来事が、1946年(昭和21年)2月に民政局(GS)によって行われた日本国憲法草案(マッカーサー草案)の作成です。
コートニー・ホイットニー准将率いる民政局のメンバー約25名は、第一生命館内の会議室に缶詰めとなり、2月4日から12日までのわずか9日間という驚異的なスピードで現行憲法の原型を書き上げました。国連憲章や世界各国の法思想を比較対照しながら、深夜まで明かりが消えなかった部屋の息詰まる空気感は、関係者の手記にも生々しく記録されています。
マッカーサー自身も極めて厳格な執務スタイルを貫きました。毎朝10時にアメリカ大使館公邸から黒塗りのキャデラックで第一生命館へ出勤し、午後2時に公邸へ戻って昼食と昼寝を取った後、夕刻に再び登庁して夜遅くまで書類に目を通すという規則正しい生活を毎日崩しませんでした。エレベーターで6階の執務室へと上がり、直立不動の護衛兵が敬礼する中を通る姿は、当時の日比谷の日常風景となっていたのです。