「止まったら死ぬのであれば、マグロは一生眠らないのか?」という疑問は、生物学者のみならず多くの人々が抱く謎です。結論から言えば、マグロも確実に脳と体を休める「睡眠」をとっています。ただし、人間や陸上哺乳類のように横たわって意識を完全に遮断する睡眠とは、そのあり方が根本から異なります。
インターネット上や一部の俗説では、「マグロはイルカや渡り鳥のように、右脳と左脳を交互に眠らせる半球睡眠(Unihemispheric sleep)を行っている」と語られることがあります。しかし、海洋生理学の知見において、マグロの半球睡眠は学術的に証明されていません。半球睡眠は大脳新皮質が高度に発達したクジラ類や鳥類に見られる特殊な睡眠形態であり、魚類の脳構造とは生理学的に合致しないためです。
最新のバイオロギング(生体記録装置)調査や飼育下での生態観察によって明らかになったマグロの睡眠の仕組みは、驚くほど合理的です。
マグロは夜間になると、昼間の活発な索餌遊泳から一転し、遊泳速度を呼吸が維持できる最低限の巡航速度(時速2〜3km程度)まで落とします。このとき、脳の活動レベルを大幅に低下させてアイドリング状態に入り、周囲への警戒センサーの感度を下げて代謝エネルギーをセーブします。外見上は泳ぎ続けているように見えますが、神経系は深いリラックス状態にあり、群れの他の個体と同調しながら海流の安定した層を滑るように流れていくのです。
いわば、自動車が高速道路を「低燃費の自動追従クルーズコントロール」で走っている状態に近く、生命維持に必要な運動反射だけを残して、意識の中枢を休息させています。完全にスイッチを切るのではなく、最低限の「生体のアイドリング」を保ちながら回復を図るのが、マグロが獲得した究極の睡眠術です。