渡哲也さんと妻・俊子(旧姓・石川)さんの出会いは、1960年代初頭の青山学院大学キャンパスにまで遡ります。経済学部に在学していた二人は同級生として知り合い、やがて真剣交際へと発展しました。特筆すべきは、渡さんが1964年に日活へスカウトされ、映画『あばれ騎士道』で鮮烈なデビューを飾る前、まったくの「無名の一青年」であった頃から俊子さんがその傍らに寄り添っていたという事実です。
銀幕のスターとして急激に知名度を上げていく多忙な日々の中にあっても二人の純愛は揺らぐことなく、約7年におよぶ交際期間を経て、1971年3月に米ハワイ・ホノルルで挙式。渡さん30歳、俊子さん29歳の春でした。当時の芸能界では若手人気俳優の結婚は人気急落のリスクを孕んでいましたが、渡さんは一切の打算を排除し、自らの誠実さを貫いて人生の伴侶を選び取りました。
結婚後の生活は決して平坦なものではありませんでした。石原プロモーションの経営難、そして渡さんを幾度も襲った病魔との戦いです。とりわけ1991年の直腸がん公表(オストメイト造設)、さらには肺気腫や急性心筋梗塞など、過酷な闘病生活において俊子夫人の存在は生命線そのものでした。
病院での献身的な介護はもちろんのこと、毎日の徹底した食事管理や人工肛門のケアを俊子さんは弱音ひとつ吐かずに担当し続けたと、当時の石原プロ関係者らは一様に口を揃えます。夫のパブリックイメージを損なわないよう、メディアには一切顔を出さず、炊き出しやイベントの際も常に黒子として裏方業務に徹した俊子さんの姿勢は、軍団員からも「陰の大黒柱」として深く敬愛されていました。