佐藤恵の真骨頂は、大舞台での圧倒的な集中力と勝負強さにありました。彼女は1984年ロサンゼルス大会、1988年ソウル大会(11位)、そして1992年バルセロナ大会と、フィールド競技の日本女子選手として史上初となるオリンピック3大会連続出場を果たしています。
その集大成となったのが、1992年のバルセロナオリンピックでした。当時の世界女子走高跳は、世界記録保持者のステフカ・コストディノヴァ(ブルガリア)やハイケ・ヘンケル(ドイツ)ら、2m超えを跳ぶ巨星たちがひしめく超ハイレベルな時代でした。身長178cmの佐藤恵は、180cm台後半から190cmを超える欧米の大型ジャンパーたちと互角に渡り合い、決勝の舞台で1m91のバーを一発でクリア。見事に7位入賞という歴史的偉業を成し遂げました。
当時の特番インタビューや陸上関係者の証言によると、五輪直前は右足首の慢性的な痛みに悩まされ、助走の一歩一歩に激痛が走る極限状態だったといいます。しかし、彼女は痛みを微塵も感じさせない華麗なベリーロールから背面跳びへの進化を体現し、日本女子跳躍界に「世界と戦える」という揺るぎない自信をもたらしました。