馬渕監督を語る上で避けて通れないのが、1992年夏、甲子園2回戦の星稜戦で敢行した「松井秀喜5打席連続敬遠」です。当時、高校屈指のスラッガーとして注目を集めていた星稜高校の4番・松井秀喜選手に対し、明徳義塾バッテリーは一度もバットを振らせることなく全打席歩かせ、3-2で勝利を収めました。
試合終了直後から巻き起こった日本中からの凄まじい大バッシングは、高校野球の枠を超えた社会現象となりました。「高校生らしくない」「正々堂々と勝負すべきだ」という抗議電話が学校の回線をパンクさせ、宿舎にまで抗議が押し寄せる異常事態となりました。しかし、監督自身が著書や特番の手記で語った告白は、勝負師としての極めて純粋な動機に基づいています。
「ウチのピッチャーの球の力では、まともに勝負すればスタンドへ放り込まれる。敬遠して次の打者でアウトを取るのが、3年間必死に練習してきたウチの部員たちが勝つための唯一の確率論だった。批判の矢面に立つのは監督である自分一人でいい」。
当時、現場で見せた険しい表情の奥にあったのは、選手を守り抜くという強固な覚悟でした。その後、松井秀喜氏が読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースへ渡り、世界的な大打者へ成長していく過程で、この5連続敬遠に対する世間の評価は180度転換します。「相手の力を極限まで認めた究極の敬意」「勝負に徹するプロフェッショナリズムの原点」として再定義され、馬渕監督の代名詞として球史に刻まれることになりました。