幸福な新婚生活の幕開けに見えた二人の関係でしたが、その実態は新婚当初から激しい摩擦に満ちていました。1981年8月の入籍から、別居を経て1983年5月に正式離婚。実質的な結婚生活はわずか1年8ヶ月程度で幕を閉じることになります。なぜこれほど早く破綻してしまったのか、そこには複合的な3つの決定打が存在しました。
第一の理由は、長渕剛さんの強烈な亭主関白ぶりと夫婦観の絶対的なズレです。長渕さんは九州男児としての気概が非常に強く、「家庭に入った妻は外へ一歩も出ず、夫に尽くすべき」という極めて厳格な価値観を持っていました。一方の石野真子さんは、家庭を大切にしたいと願いつつも、息の詰まる閉鎖的な日々に次第に疲弊していきました。
第二の理由は、長渕剛さんの母親(姑)との同居生活と介護問題です。結婚後、長渕さんの実母と同居することになりましたが、慣れない家事全般に加え、病気がちだった姑の世話や家族間のデリケートな問題が一気に若い石野真子さんの肩にのしかかりました。精神的な逃げ場を失った彼女の孤独感は、限界を超えていたと当時の報道や関係者取材で明かされています。
そして第三の決定打が、感情的な衝突の激化と家庭内暴力(DV)の存在です。ストイックすぎる創作活動の中で過敏になっていた長渕さんと、耐え忍ぶ石野真子さんの間で口論が絶えなくなり、長渕さんが感情を爆発させて手を上げてしまった出来事が決定的な亀裂を生みました。石野真子さんは実家へ身を寄せる形で家を出て、両家を巻き込んだ話し合いの末、修復不可能な関係としてピリオドが打たれたのです。