広島県出身の幼馴染だった有吉弘行さんと森脇和成さんによって1994年4月に結成された猿岩石は、太田プロダクションに所属後、1996年4月に人生を激変させる過酷なロケへと旅立ちました。『進め!電波少年』の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」企画です。所持金わずか10万円からスタートし、現地でのアルバイトや見知らぬ人々の善意に頼りながら移動を続ける過酷な旅の様子は、毎週日曜夜のテレビの前で数千万人の視聴者を釘付けにしました。
同年10月にゴール地点のイギリス・ロンドンへ到達した際、特番で放送された凱旋ライブ(西武球場)には約3万人のファンが詰めかけました。藤井フミヤさん作詞、藤井尚之さん作曲によるデビューシングル『白い雲のように』は113万枚を超える大ミリオンセラーを記録。書籍『猿岩石日記』シリーズは累計250万部を突破し、応援歌となったサンプラザ中野さんの『旅人よ 〜The Longest Journey』も大ヒットするなど、日本中に「猿岩石フィーバー」が吹き荒れました。
当時の報道や本人の回顧によると、絶頂期の最高月収は2,000万円に達し、通帳の残高が一晩で桁違いに膨れ上がったといいます。しかし、この狂乱のブームこそが、後のコンビ関係に大きな歪みを生む引き金となりました。