田中組の歴史は、工藤会の台頭と権力集中そのものを象徴している。歴代トップの顔ぶれを見れば、同組がいかに組織の中枢を掌握していったかが明白だ。
初代組長である田中十四春氏は、前身組織である工藤組時代から北九州の裏社会で絶大な影響力を持った大物だった。卓越した組織統率力で基盤を固め、後の巨大組織化の礎を築いた人物として知られる。
その跡を継いだ二代目組長が野村悟被告(後の五代目工藤會総裁)である。野村被告は潤沢な資金力と苛烈な統制力で組織内の地位を急速に引き上げ、田中組を絶対的な主流派へと押し上げた。さらに三代目を継承した田上文雄被告(五代目工藤會会長)は、野村総裁の右腕として実務と武闘部門を統括し、四代目の菊池啓吾被告へと組織は引き継がれていった。
このように、田中組の歴代組長がそのまま工藤会の総裁や会長、理事長補佐といった最高首脳部に直結する構造が確立されていたのである。