秀吉の正室である北政所(ねね)。彼女の実家である木下家は、豊臣政権崩壊後も生き残った。備中足守(岡山県)と豊後日出(大分県)の大名として明治維新まで存続した木下家こそが、豊臣の血と文化を後世に伝える最大のハブだったのだ。
木下家の家系図を詳細に読み解くと、秀吉の血縁者たちが養子縁組を繰り返しながら、複雑にその血脈を維持していたことがわかる。表向きは徳川の忠実な家臣を装いながらも、裏では「豊臣」のアイデンティティを失わないよう、婚姻関係をコントロールしていた形跡が見て取れる。彼らの静かなる抵抗が、血脈を現代へと繋ぐ架け橋となった。