この名物がなぜ「人形」の名を冠しているのか、そのルーツは江戸時代にまで遡る。当時、現在の人形町界隈には歌舞伎の芝居小屋や人形浄瑠璃の小劇場が集積しており、人形遣いや職人たちが数多く暮らしていた。この地に集う人々に向けて、文楽人形や七福神の顔を模した焼き菓子を売り出したのが始まりとされている。
時代が明治、大正、昭和へと移り変わる中で、型取りの技術は洗練を極めた。浅草では五重塔や雷門、鳩などをかたどった型が生まれ、人形町では七福神の愛らしい表情をモチーフにしたデザインが定着した。それぞれの地で独自の進化を遂げたデザインは、江戸っ子の粋な遊び心と庶民文化の豊かさを今に伝えている。