久坂部羊という唯一無二の書き手を形成した背景には、日本の純粋培養された文壇作家とは全く異なる特異なキャリアが存在します。1955年に大阪府で生まれ、名門・大阪大学医学部を卒業したエリートコースの持ち主でありながら、その歩みは決して平坦なエスカレーターではありませんでした。
大学卒業後は大阪大学医学部付属病院などで外科・麻酔科の臨床研修を修了。その後、外務省の医務官としてサウジアラビアやオーストリア(ウィーン)などの在外公館に勤務するという極めて稀有な海外生活を経験しました。この異文化圏での医療体験が、日本特有の「死を不浄・敗北と捉え、何が何でも生かす」という硬直した死生観を客観視する決定打となったと本人は述懐しています。
帰国後は、高齢者医療や在宅訪問診療、ペインクリニックの現場に従事。寝たきりの高齢者や認知症患者、そして介護に疲れ果てた家族の悲鳴を日々耳にするなかで、2003年に48歳で『廃用身』を上梓し小説家デビューを果たしました。作家専業になった現在も、高齢者医療の現場に関わり続ける非常勤医としての臨床感覚を手放しておらず、医療行政の制度疲労や現場の空気感を即座に作品へフィードバックできる体制を維持しています。