秋野太作を語るうえで、避けて通れない最大のターニングポイントが1977年の電撃改名です。当時の彼は「津坂匡章(つさか まさあき)」名義で広く認知されており、すでに『男はつらいよ』や『俺たちの旅』を大ヒットさせ、お茶の間の主役級俳優として確固たる地位を築いていました。人気絶頂期にある役者が、それまで築き上げた知名度を捨てて改名することは、興行的にも極めて異例のリスクを伴う決断でした。
この改名劇の背景には、外から見える華やかな成功とは裏腹に、表現者としての激しい葛藤がありました。当時のインタビューや後年の回想録によると、津坂匡章という名前に染み付いた「頼りない三枚目」「愛すべきお調子者」という強固なパブリックイメージから脱却し、より重厚な役柄や人間ドラマに挑みたいという渇望が渦巻いていたと明かされています。
新たな芸名「秋野太作」には、「役者として観客に“飽き”られない存在でありたい」「これからの人生で幾つもの“大作”に挑み続けたい」という切実な祈りが込められていました。さらに、信頼する姓名判断の助言を取り入れ、画数や運気の転換を強く意識した選択であったことも知られています。自らの過去の実績に甘んじることなく、名を変えてでも役者として進化しようとしたその姿勢は、昭和の表現者が持っていた凄まじい矜持を物語っています。