中野英雄の妻・中野多加美の現在|仲野太賀を育てた敏腕社長の全貌

中野英雄の妻・中野多加美の現在|仲野太賀を育てた敏腕社長の全貌

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二人の出会いは昭和の終盤、中野英雄氏が10代半ばの中学時代にまで遡ります。当時の東京・杉並や中野界隈で、中野英雄氏は地元でも名前が知れ渡る札付きの不良少年でした。暴走族の活動に身を投じ、警察沙汰を繰り返していた危険な少年の前に現れたのが、同年代の多加美氏でした。

非行に走る中野氏に対し、多くの周囲の大人が匙を投げる中、多加美氏だけは正面から向き合い、悪い行動に対しては一切容赦なく叱責を飛ばしたといいます。中野英雄氏が自著や過去の回想特番で明かしたところによると、「彼女の前でだけは嘘がつけず、格好をつけることもできなかった」と述懐しています。

転機が訪れたのは1980年代半ば、中野氏が哀川翔氏と出会い、路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」へ加入した時期です。厳しい規律と肉体訓練に耐えかねて挫折しそうになる中野氏の背中を押し、1987年に22歳前後で結婚。当時の生活は困窮を極め、風呂なしアパートでの貧乏暮らしを余儀なくされましたが、多加美氏は弱音一つ吐かずに生活費を工面し、夫の役者修行を支え抜きました。

その後、1992年の社会現象となったフジテレビ系ドラマ『愛という名のもとに』の「チョロ」役で中野氏が大ブレイクを果たした際も、妻は浮足立つことなく「調子に乗るな」と夫を厳しく戒めました。この地に足の着いた冷静さこそが、一発屋で終わらせず、息の長いバイプレイヤーとして中野英雄氏を生き残らせた最大の要因です。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。