三重県の名称の起源は、8世紀初頭に編纂された日本最古の歴史書『古事記』にまで遡ります。公式記録や県庁の地域振興資料でも広く紹介されているこの由来には、古代日本の英雄・倭建命(ヤマトタケルノミコト)の過酷な東征の足跡が色濃く残されています。
東国平定の任務を終えて大和(現在の奈良県)へ帰還する途上、ヤマトタケルは伊吹山の荒ぶる神との戦いで深手を負い、極度の疲弊に見舞われます。足を引きずりながら大和を目指す中、現在の三重郡付近に差し掛かった際、彼は次のような言葉を遺したと伝えられています。
「吾が足は三重(みへ)の勾(まが)りの如くして、甚だ疲れたり」
(私の足がまるで三重に折り重なって曲がってしまったかのように激しく疲弊している)
この発言から、その地が「三重(みえ)」と呼ばれるようになり、古代律令制下の伊勢国三重郡が成立しました。明治初期、当初安濃津(津)に置かれていた県庁が一時期四日市(三重郡)に移転したことを契機に県名が「三重県」と改称され、その後再び県庁が津市に戻った後も県名として引き継がれました。