「5円=ご縁」という発想は、昭和以降の民間信仰や語呂合わせ文化のなかで急速に定着した。15円なら「十分なご縁」、45円なら「始終ご縁」といった具合に、数字遊びのバリエーションは枚挙にいとまがない。だが、歴史の針を巻き戻せば、硬貨を投げる行為そのものが比較的新しい風習であることがわかる。
古来、神道におけるお賽銭の原点は「お米」だった。収穫したばかりの稲穂を白い紙に包んで神前に供える「お初穂」こそが神への感謝の証であり、貨幣経済の浸透に伴ってそれが金銭へと代わっていったに過ぎない。一方、仏教における金銭の奉納は「喜捨」や「布施」と呼ばれる修行の一環だ。自分の執着を手放し、寺院や僧侶を支えることで功徳を積むという意味合いを持つ。感謝を捧げる神道と、執着を捨てる仏教。ルーツは異なれど、そこに「特定の金額でなければ神仏が怒る」という教義は存在しない。