事件当時、週刊誌やワイドショーはこぞって彼女の私生活や過去を暴き立てた。卒業アルバムの掲載はその最たる例である。視聴率や売上のために、プライバシーの境界線を踏み越える報道姿勢は、当時から一部で批判されていた。だが、現代におけるネットの「私刑(リンチ)」は、当時のマスメディアの暴走を遥かに凌駕する規模で行われている。
現代のネットユーザーは、単に情報を消費するだけでなく、自ら進んで「捜査官」や「裁判官」の役割を演じたがる。過去の事件を掘り起こし、関係者の現在を特定し、晒し上げる。畠山受刑者の卒アル画像は、そうしたネット自警団たちの燃料として、20年経った今もなお利用価値を失っていないのだ。ここにあるのは、正義感に裏打ちされた残酷な娯楽化である。