この空前の政策を実務面で支えたのが、綱吉の側用人として知られる柳沢吉保である。江戸幕府の行政組織が高度化するなか、吉保は将軍の掲げる儒学的な理想主義を現実の法制度へと落とし込む重責を担った。彼らの目指した官僚機構の確立は、武士たちの意識改革を急速に進めることとなる。
江戸時代の初期、武士にとって「気に入らない者を切り捨て、力で解決する」ことは依然として名誉と背中合わせであった。柳沢吉保らの主導した一連の法令は、そうした暴力的な価値観を徹底的に解体した。法令の厳罰化は庶民を苦しめるためではなく、暴力の過剰な行使を誇る武士階級の暴走を封じ込めるための政治的威嚇でもあったのだ。