最大の疑問である「なぜアイルランドとイギリスは別の国なのか、そしてなぜ北アイルランドだけが英国領なのか」という問いを解く鍵は、1921年のアイルランド島分割と、それ以前に繰り広げられた800年に及ぶ英国の入植統治にあります。
中世12世紀のノルマン侵攻以降、アイルランド島は隣国イングランドによる段階的な侵略と過酷な植民地支配に晒されてきました。先住のアイルランド人はカトリック信仰と独自のゲール語文化を保持していましたが、16世紀の宗教改革を経てプロテスタント国家となったイングランドは、反抗的なアイルランド先住民を厳しく弾圧しました。特に17世紀、島北東部のアルスター地方には、スコットランドやイングランドから大量のプロテスタント系入植者が送り込まれ、先住民の土地が強制的に収奪されました。これが、北アイルランドにプロテスタント系住民が多数派として定着した構造的起源です。
決定的な亀裂を生んだのが、1845年から1852年にかけて発生したジャガイモ飢饉(大飢饉)です。当時の人口の約20〜25%に相当する100万人以上が餓死し、さらに100万人以上が国外へ脱出しました。飢饉そのものは疫病による不作が発端でしたが、英国政府がアイルランドからの食糧輸出を継続させ、自由市場原理を口実に実質的な救援を怠った事実は、アイルランド人に「意図的な見殺し」として記憶され、反英感情と民族独立への強烈なエネルギーへと転化しました。
20世紀初頭、1916年のイースター蜂起を経て、1919年からアイルランド独立戦争が勃発します。マイケル・コリンズ率いるアイルランド義勇軍(IRAの前身)によるゲリラ戦の末、英国政府は武力鎮圧を断念し、1921年に英愛条約を締結しました。この条約において、プロテスタント系住民が人口の約6割以上を占めていたアルスター地方の6県だけが英国への帰属を選択することを認められ、残る南部26県が「アイルランド自由国(現アイルランド共和国)」として独立を果たしました。これが現在も続くアイルランド島分割の直接的な原因です。