ジャズ史において数々の金字塔を打ち立てたジョン・コルトレーンですが、ブルーノート・レコードにリーダーとして残したアルバムは後にも先にも本作『ブルートレイン』の1枚しか存在しません。その背景には、当時のレコード業界における複雑な契約関係と、創業者アルフレッド・ライオンとの固い信頼関係がありました。
1957年当時、コルトレーンはボブ・ワインストック率いるプレスティッジ・レコードと専属契約を結んでいました。しかし、専属契約を結ぶ以前に、コルトレーンはアルフレッド・ライオンに対して「いずれブルーノートで1枚リーダー作を吹き込む」という口頭の約束を交わしていました。アルフレッド・ライオンはこの約束を尊重し、プレスティッジ側に所定の交渉と配慮を行い、例外的にリーダー作の録音許可を取り付けたのです。
当時のプレスティッジは「リハーサルなしの即興一発録り」でスタジオ代を浮かす方針が常態化していました。対照的にブルーノートは、ミュージシャンに事前リハーサルのギャランティを支払い、綿密なアレンジを練り上げた上でニュージャージー州ハッケンサックにある名匠ルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで録音を実施していました。この制作環境の違いこそが、コルトレーンのコンポーザーとしての才能を一気に開花させる引き金となったのです。