なぜ湖上に築かれた?諏訪の浮城「高島城」の歴史の真相と見どころ徹底解説

なぜ湖上に築かれた?諏訪の浮城「高島城」の歴史の真相と見どころ徹底解説

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高島城の大きな魅力は、コンパクトでありながら安土桃山期の風格を色濃く残す天守閣と、築城当時の荒々しさを今に伝える石垣のコントラストにあります。明治8年(1875年)の廃城令と破却によって天守をはじめとする建造物は一度失われましたが、昭和45年(1970年)、諏訪市民の熱い要望によって現在の天守閣がRC造(鉄筋コンクリート)で外観復元されました。

この復元された天守閣には、日本全国の城郭建築の中でも極めて珍しい特徴が存在します。それは屋根の仕上げです。一般的な近世城郭の天守といえば重厚な黒瓦や本瓦葺きが連想されますが、高島城の天守は、信州諏訪の極寒期における凍結割れ(凍害)を防ぐため、創建当初はスギやヒノキの薄板を重ねた「こけら葺き(板葺き)」が採用されていました。現在の復元天守では防災上の理由から銅板葺きとなっていますが、こけら葺きの独特な柔らかい屋根の反りと質感を忠実に模しており、他の城には見られない端正で優美なシルエットを醸し出しています。

天守台の基礎を支える石垣の野面積み(のづらづみ)も見逃せません。加工されていない自然石を巧みに噛み合わせて積み上げたこの石垣は、日根野高吉の築城当時の姿を400年以上にわたって色濃く残す一級の土木遺産です。角の部分には長方形の石を交互に積み重ねる「算木積み(さんぎづみ)」の初期の技法が確認でき、織豊系城郭の過渡期における技術的到達点を如実に示しています。平成29年(2017年)に公益財団法人日本城郭協会によって「続日本100名城」(第130番)に選定された背景には、単なる観光施設にとどまらない、こうした確かな歴史的リアリズムが存在しています。

本丸内には天守閣だけでなく、復元された冠木門(かぶきもん)や角櫓(すみやぐら)、さらには江戸時代の庭園美を伝える心字池(しんじいけ)を中心とした回遊式日本庭園が整備されており、城郭遺構と造園美が見事に調和しています。

山崎 陸
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山崎 陸

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