前島密が日本の歴史の表舞台に立つ決定的な契機となったのが、佐賀藩出身の巨頭・大隈重信との出会いです。維新後、静岡藩の勘定所に出仕していた前島は、その非凡な財政・土木・語学の能力を買われ、大隈重信や伊藤博文が主導する明治新政府の民部省・大蔵省へ招聘されます。
1870年(明治3年)、前島は大隈から「日本の新しい通信制度の設計」を命じられ、太政官において駅逓権正(えきていごんのしょう=現在の郵便局長に相当)に任じられました。当時、日本には江戸時代以来の「飛脚(ひきゃく)」制度が存在していましたが、料金は高額かつ不統一で、幕藩体制の崩壊に伴い機能不全に陥っていました。前島はイギリスの郵便制度(ペニー・ポスト)を手本に、「全国均一料金」「公営による独占事業」「切手による料金前納」という、現在の郵便システムの3大原則を確立したのです。
前島が残した名言として今なお語り継がれるのが、創業期の決意を語った次の言葉です。
「縁の下に隠れて、国家の基礎を固める舞を舞う。名誉や富を求めず、ただ万民の利便のために働くことこそ本望である」
前島は「郵便」「切手」「葉書(はがき)」「小包」といった現在日常的に使われている日本語の専門用語のほとんどを自ら考案・定義しました。また、1870年には自らイギリスへ渡航して現地の郵便・電信・港湾・鉄道を視察。その滞在中にも日本国内の郵便創業計画を遠隔で指示し、1871年4月20日(明治4年3月1日)、東京・京都・大阪間を結ぶ近代郵便が正式にスタートしました。この4月20日は、現在も「郵政記念日」として定められています。