鬼平こと長谷川平蔵の実像|史実と創作の差と人足寄場の真実

鬼平こと長谷川平蔵の実像|史実と創作の差と人足寄場の真実

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長谷川平蔵の生涯において、治安維持以上の歴史的功績と称えられるのが寛政2年(1790年)に創設された石川島人足寄場です。現在の東京都中央区佃島周辺に設置されたこの施設は、世界的に見ても極めて先進的な刑事政策でした。

当時、農村の崩壊によって江戸には戸籍を持たない「無宿人(むしゅくにん)」が溢れ返り、彼らが窃盗や強盗の予備軍となっていました。従来の幕府の政策は、彼らを捕らえて佐渡金山の人足として強制送還するか、入墨・叩き刑に処して市外へ追放するのみでした。しかし、追放された無宿人は生計を立てる手段がないため、再び江戸へ戻り凶悪犯罪に手を染める悪循環に陥っていました。

平蔵が老中首座・松平定信に建言したプランは、無宿人を孤島に集めて住居と食事を与え、大工仕事、草履作り、油絞りなどの職業訓練(授産)を施すという画期的なものでした。働いた分の工賃は積み立てられ、出所時の更生資金として手渡されました。単なる懲罰ではなく「技術を身につけさせて社会へ復帰させる」というリハビリテーション思想は、18世紀の刑法思想として世界水準を遥かに超えていました。

しかし、この制度の裏には平蔵の苦渋の決断もありました。幕府から支給される予算が不足していたため、平蔵は幕府から借り入れた資金をもとに自ら相場を張り、運用益を施設運営費に充てるという危険な手法まで実行しました。この清濁併せ呑む実務手法が、厳格な朱子学派であった松平定信から「山師」「利に敏い男」と警戒され、平蔵の官僚としての出世を阻む要因にもなりました。

山田 真由
著者

山田 真由

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