ネット上の感想掲示板やSNSでは、未視聴者を中心に「難病をダシにして泣かせるお涙頂戴ドラマではないか」という偏見が囁かれることがあります。しかし、これは作品の本質を見誤った大きな誤解です。
実態検証として作品を精緻に読み解くと、本作が最も批判的に描いているのは、周囲の人間が陥りがちな「過保護な同情」や「可哀想な当事者」というラベリングそのものです。拓人は病気が発覚した後も、健常者と同じく就職活動を続け、家具工場の営業職として自立した労働に従事します。職場の上司や同僚たちも、当初の戸惑いを乗り越え、拓人がどうすれば業務でパフォーマンスを発揮できるかという「合理的配慮」の環境作りに尽力しました。
さらに、病気の当事者だけでなく、介護を担う家族の疲弊や、兄弟間に生じる摩擦にも一切の忖度なくメスを入れています。本作は単に感情を揺さぶる涙の消費物ではなく、障害や病を抱えた人間が社会の中でいかに尊厳を保ち、自律した個人として生きられるかを問う、極めて先駆的な社会派ドラマとして評価されるべき構造を備えています。