ウィーンのシュテファン寺院観光において、まず理解しておきたいのがオーストリアを支配したハプスブルク家との深い結びつきです。12世紀半ばにロマネスク様式の教会として創建された後、14世紀に「建設公」と呼ばれたルドルフ4世の大規模な拡張によって、現在見られる壮麗なゴシック建築へと変貌を遂げました。
シュテファン大聖堂は単なる祈りの場ではなく、帝国の権威を示す象徴空間でした。皇帝フリードリヒ3世の重厚な大理石の墓碑をはじめ、大聖堂内部にはハプスブルク家の栄枯盛衰を物語るモニュメントが至るところに配置されています。オスマン帝国軍の包囲網を打ち破った戦勝の歴史や、第二次世界大戦末期の大火災から奇跡的に再建を果たした歩みは、オーストリア国民の誇りそのものです。
また、音楽の都ウィーンを象徴する巨匠ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトにとっても、この大聖堂は人生の節目が刻まれた場所でした。1782年、父レオポルトの反対を押し切って妻コンスタンツェとの結婚式を挙げたのが、この聖堂内の十字架礼拝堂です。そしてわずか9年後の1791年12月、35歳の若さで急逝したモーツァルトの告別式が執り行われたのも同じ場所でした。
当時の記録や手記によると、モーツァルトの葬儀は貴族階級のような華美なものではなく、限られた友人たちが見守る簡素な「三等葬儀」であったと伝えられています。大聖堂の北側には、遺体が運び出された「十字架礼拝堂」や記念の銘板が静かに残されており、栄光と孤独の狭間を駆け抜けた天才の足跡に思いを馳せるファンが後を絶ちません。