歴代首相の中でも独特の立ち位置を保ち続けてきた石破茂の経歴と学歴には、他の一世議員とは異なる興味深い足跡が刻まれています。1957年2月4日生まれの石破氏は、鳥取県知事や自治大臣を歴任した石破二朗氏の長男として誕生しました。教育熱心な家庭環境のもと、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科へと進学。大学時代には「全日本学生法律討論会」で第1位を獲得するなど、当時から緻密な論理構築力を発揮していました。
大学卒業後の1979年、石破氏は政治家の道へ直接進むのではなく、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行します。本所支店などで営業マンとして奔走し、融資や為替といった民間経済の生々しい現場を肌で体感しました。しかし、1981年に敬愛する父・二朗氏が急逝。父の盟友であった田中角栄元首相から「お前が親父の跡を継げ」と強い薫陶を受け、銀行を退職して政界への挑戦を決意します。
1986年の衆議院議員総選挙において、29歳の若さで全国最年少当選を果たして政界入りした石破氏は、防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣、地方創生担当大臣、そして自民党幹事長といった党・内閣の要職を歴任しました。安全保障や軍事、地方行政に関する該博な知識は政界随一と評され、自民党内にありながら自党の執行部をも舌鋒鋭く批判する「党内野党」のポジションを長年貫いてきたことが、独自の知名度と国民的人気につながっています。