盛岡市といえば「わんこそば」「盛岡じゃじゃ麺」、そして「盛岡冷麺」が並び立つ盛岡三大麺の街として全国に知られています。それぞれが異なる発祥ルートと独自の食文化を持ちますが、その中でも冷麺の誕生劇は、戦後日本の食文化交流史を象徴するドラマに満ちています。
盛岡冷麺の歴史は、1954年(昭和29年)5月、朝鮮半島北部の咸興(ハムフン)出身である在日朝鮮人1世の青木輝人氏(朝鮮名:楊龍哲)が、盛岡市大通にわずか4席のテーブルからなる「食道園」を開業したことに端を発します。
青木氏が目指したのは、幼少期に親しんだ故郷の伝統麺の再現でした。しかし、本場の咸興冷麺はそば粉を主原料とした黒っぽい麺であり、激辛のタレを絡めて食べる汁なしタイプ(ビビン冷麺)が主流でした。これを当時の盛岡市民に提供したところ、黒い見た目と強烈な辛さ、そして独特の食感に対して「まるでゴムを噛んでいるようだ」と敬遠される厳しい現実に直面します。
そこで青木氏は不屈の試行錯誤を重ね、そば粉の代わりに精製した小麦粉と馬鈴薯(じゃがいも)でんぷんを採用。麺生地を強い圧力で押し出しながら茹で上げる製法を確立し、美しく透き通る半透明の麺と、日本人好みのコク深い牛骨スープを組み合わせた「盛岡独自の冷麺」を完成させました。当初は「平壌冷麺」の名で提供されていましたが、1986年の「日本麺サミット」を契機に「盛岡冷麺」の呼称が定着し、名実ともに郷土を代表する名物へと昇華したのです。