社会党の衰退を語る際、しばしば見落とされがちな歴史的盲点があります。それが1989年の参議院議員選挙で巻き起こった土井たか子委員長による「マドンナブーム」の功罪です。
リクルート事件への激しい怒りと、導入されたばかりの消費税(当時3%)への反発を追い風に、社会党は女性候補を大量に擁立して圧勝を飾りました。「山が動いた」という土井氏の名セリフは流行語となり、社会党は一時的に息を吹き返したかのように見えました。ネット上や一部の回顧録では「土井時代が社会党の黄金期だった」と美化される傾向があります。
しかし、政治学的な視座から検証すると、実態は正反対でした。マドンナブームによる勝利は、党自体の構造改革や現実的政策の策定を先送りさせる「強力な麻薬」となってしまったのです。
当時の社会党は、政策立案能力の乏しいタレント候補や市民運動家を数多く当選させたものの、政権担当能力を備えた政党への脱皮を怠りました。「自民党のおかしな政策に反対していれば勝てる」という成功体験が、内部の教条主義的な左派を勢いづかせ、現実的な連立政権構想や安全保障政策の現実化を拒む要因となりました。ブームという一時的な風速で延命したことが、結果的に組織の自己変革の機会を永久に奪うことになったのです。