香川照之が歩んだ人生の中で、最大のトラウマであり渇望であったのが「実父・二代目市川猿翁との断絶」でした。香川が20代の頃、父の楽屋を単身訪れた際、猿翁から「以後の私とあなたは無関係」「あなたを息子と認めることはできない」と言い放たれ、門前払いを食らったエピソードは自著やドキュメンタリーでも生々しく語られています。
冷酷に閉ざされていた父子の扉をこじ開けたキーマンこそが、いとこの四代目市川猿之助(当時・市川亀治郎)でした。関係者の証言や当時の取材記録によると、猿之助はかねてより従兄である香川の並外れた演技力とバイタリティを高く評価しており、「澤瀉屋の血を引く者が外の世界にいるのは不自然であり、一門の未来にとって大きな損失だ」と考え続けていたとされます。
2011年9月、都内ホテルで行われた前代未聞の共同記者会見は、演劇界の歴史に残る出来事となりました。当時46歳の香川照之が「九代目市川中車」を、香川の長男・政明が「五代目市川團子」を、そして市川亀治郎が「四代目市川猿之助」を一斉に襲名することが発表されたのです。壇上には、脳梗塞の後遺症を抱えながら車椅子に乗った二代目猿翁の姿もありました。
会見で香川は、瞳を潤ませながら「自分の中にある歌舞伎の血を否定することはできなかった」「長男に自分の果たせなかった夢を託し、父と同じ墓に入りたい」と語りました。この感動的な家族再生劇の青写真を描き、頑なだった伯父(猿翁)と従兄(香川)を繋ぎ合わせたのは、次代の澤瀉屋を背負う覚悟を決めていた猿之助の強い意志と戦略的眼光に他なりませんでした。