江戸幕府が村正を「徳川仇敵の刀」として危険視したことは、皮肉にも「反徳川の意志を秘めた武将や志士たち」にとって最高のプレミアム価値を生み出すことになりました。
大坂の陣において徳川家康の本陣を急襲し、あと一歩のところまで追い詰めた真田幸村(信繁)。講談や民間伝承において、幸村が家康を討つために携えていた愛刀こそが村正であったと語られています。史実としての物証は乏しいものの、「徳川を滅ぼす刀」としての村正のアイコン化を決定づけた伝説です。
さらに時代が下り幕末になると、この伝説は熱狂的な政治的プロパガンダへと変貌します。
討幕派の志士たちはこぞって村正を買い求め、自らの腰に差すことで倒幕の決意を示しました。薩摩藩の西郷隆盛が村正を所持していた真偽については、当時の記録や遺品調査から、実際に西郷が佩刀として所持していたほか、東征大総督を務めた有栖川宮熾仁親王へ村正の刀が献上された事実が確認されています。徳川幕府を心理的に揺さぶる「精神的兵器」として、村正は歴史の転換点に再び登場したのです。